【心理学で観る:人生の統合】ニュース 新生児取り違え 原告男性会見 「生まれた日に時間戻して」


新生児取り違え60歳男性 病院を訴える



新生児の取り違えという映画になりそうなニュースがありました。

もし,知らないだけで自分もそうだったら…と想像すると,ちょっと気持ちを揺さぶられるニュースですね。

今回のニュースは,人生の黄昏時の入り口とも言えるおよそ60歳で発覚したということも驚きです。

さらに取り違えられた男性の苦労してきた人のほうが病院を訴えたことで,さらにいろいろと考えさせられるニュースになっています。

人生の値段はわかりませんが,原告の請求は2億50000万円。

本来生きるべきだった環境での生涯賃金+α??????

という金額ですが,東京地裁の裁定では3800万。

金額の是非はともあれ,事態の責任の所在は明らかになりました。

しかし,これで一件落着ではなく,心理学的にはこれからがこのニュースの本番です。

私たちは人生の可能性は無限ですが,一人にもらっている人生は一人分。

なので,必然的に生きてこれた人生と,その可能性の数だけ生きてこなかった人生が発生します。

生きてこれなかった人生を分析心理学では「シャドウ(影)」と呼びます。

生きている人生が大変で,そちらが忙しいとシャドウを考えている暇はありません。

ということで,シャドウを意識し始めるのは人生がある程度定まった中年期以降が一般的には多いようです。

ちなみに,若い時からシャドウいっぱいの人は,それはそれで心豊かとも,心がお忙しいとも言えるので大変です。この話はまたの機会に!

さて,話を戻しますが,たとえば,
Facebookで元カノさんの結婚生活を見つけて思わず見入ってしまう既婚男性,
同じく寿退社した元同僚を見つけて見入ってしまう未婚女性,
かつて熱中した趣味で華々しく活動している昔のお仲間を目にした時,
表舞台で大活躍する元同級生を目の当たりにした時…
こんな時に,私たちはシャドウを意識して複雑な気持ちになるようです。

現実的には今の自分には生きられる可能性が皆無に等しいのに,
なんだか甘酸っぱいような,
ほろ苦いような気持ちとともに,
生きてこなかった人生に思いを馳せてしまうのではないでしょうか。

生きてきてはいませんが,シャドウも私たちの人生の一部です。
自分の人生にある程度ストーリーをつけて意味づけることが,私たちの生き心地の良さには望ましいと言われています。
シャドウにも,自分のストーリーのなかでの居場所を見つけてあげたいですね。

このことを,人生を考える心理学では<人生の統合>と呼んでいます。

詳しく知りたい方は,
自我心理学(Ericsonのlife cycle)で言うIntegration,
または
分析心理学で言うPersonalize,
を調べてみてください。


さて,ニュースの男性は,苦労してきたこれまでの人生を彼なりに納得していたのかもしれませんが,そんな矢先にとてつもなく巨大なシャドウを突きつけられた訳です。

こんなに巨大なシャドウを突きつけられたらどうしましょう。

甘酸っぱいとかほろ苦いとか言うレベルを超越した,人生の居心地が悪くなるような複雑な気分になるのではないでしょうか。

このような状態を,私は勝手に「生き心地の悪い」状態と呼んでいます。

生き心地の悪さを解消する方法の一つは,シャドウに「自分」の中での居場所を見つけてあげること。

ですが,簡単に居場所を見つけてあげることは出来ないでしょう。
「生まれた日に時間戻して」は,苦労した人生を受け止めきれなくなった心の叫びなのでしょうね。


心理療法家・杉山としては,これからとてつもなく大きなシャドウとの統合の旅が始まるような気がします。

彼のお気持ちの揺れの大きさを察するとなんとも言い難い気持ちになるわけですが,

血のつながった兄弟,共に取り違えられた分身とも言える男性らと対話を重ねる中で,

彼がシャドウの居場所を見つけられたらいいなあ…と切に願います。

生き心地の良い,人生の黄昏時を迎えていただきたい
そんな気持ちになりました。